ギブミーチョコレート

日本でカカオ豆から一貫した生産が行われるようにいなりましたが、第二次世界大戦の影響でカカオ豆の輸入がストップしました。チョコレートが国産で販売された当時も今のように庶民の口に入ることが少ないチョコレートですが、カカオ豆の輸入がストップしたので代用品として別の原料を材料にした代用チョコレートが考案されていました。第二次世界大戦で日本が連合軍に敗戦すると、アメリカから大量のチョコレートがもたらされました。「キブ・ミー・チョコレート!」はアメリカ軍に占領されていた世相を表す言葉でよく使われますがアメリカ軍から大量にもたらされたチョコレートはおそらくハーシーズ(HERSHEY’S)です。

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ハーシーズ(HERSHEY’S)

アメリカで一番大きなチョコレート製造工場のハーシーズは、ペンシルバニア州のハーシーに本拠地が置かれています。本部にはココアの香りが町中にただよいます。ハーシー社はアメリカ合衆国で最も古いチョコレート菓子会社の一つで、ハーシー社が製造するチョコレートバーはアメリカの肖像ともいえるでしょう。そしてアメリカ軍が採用しているアメリカ軍用チョコレートの製造をしているのもハーシー社です。

ハーシー社のチョコレートは、ヨーロッパの伝統的なレシピではありません。日本で流通している日本国産チョコレートと比べるとハーシーのチョコレートはとても甘くなっています。ヨーロッパでもハーシー社のチョコレートは販売されていますが、ヨーロッパの人たちが好むビターテイストではないのでヨーロッパでの売上げはアメリカのようにはいかないようです。

アメリカ軍用チョコレート

United States military chocolateは、アメリカ軍が兵士に配給しているチョコレート製品で、士気高揚とカロリー補給が目的ですが高温下でも簡単にチョコレートが溶けないような工夫がされているので粉っぽい食感が特徴にもなっています。1937年からアメリカ軍で標準配給品のひとつとなりました。

ハーシー社が挑戦したチョコレート

アメリカ軍が支給するチョコレート、非常食用の野戦食として軍用チョコレートは耐熱性という点が非常に重要になります。野外での行動はもちろんのこと、時には熱帯や砂漠でも行動するので、その間にポケットの中に入れたチョコレートは身体に密着しています。そのような条件下では、普通のチョコレートは数分で溶けてしまいます。そこで、アメリカ軍が最初に非常用配給チョコレートバーを依頼したのは1937年(昭和12年)4月にアメリカ陸軍需品科のポール・ローガン大佐は、ハーシー社にコンタクトを取って社長ウィリアム・マリーと化学部長のサム・ヒンクルに面会しまして、「携帯非常食D号:通称レーションDバー」の提案をします。創業者のミルトン・ハーシーはこの提案に興味をもってレーションDバーの実験生産が開始されました。

出した提案Dレーションバー

  • 1.重量は4オンス(約110グラム)。
  • 2.食品としてエネルギー値が高いこと。
  • 3.高温に耐えられること。
  • 4.味は、「茹でたジャガイモよりややましな程度」(理由は美味しいと気楽に食べてしまって非常食にならないだろうと考えたから)

出来上がったレーションDバーは、48.9度までの高温にも耐えられるチョコレートになりました。噛み砕くのに苦労するほどの硬さのチョコレートバーでチョコレート3個入りパックで戦闘員が1日に必要とする最低エネルギーの1.800キロカロリーがチョコレートバーで補給できるカロリーのものです。このレーションDバーの一部は南極大陸探検隊に出た海軍少佐リチャード・バードの補給品としても一部持っていかれました。そしてフィリピンやパナマ、その他アメリカ国内の吉で実地テストを行った結果、陸軍はこのチョコレートを不定期ではありますが発注するようになりました。

1941年12月8日の真珠湾攻撃を機にアメリカが第二次世界大戦に参戦すると、このレーションDバーは毒ガスにも耐えることが出来る包装に変更されています。1941年から1945年の間に軍からの要求を反映して放送は何度も変更されています。

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更なる改良

1943年にアメリカ陸軍調達部は、従来の風味を改良しつつなおかつ高温にも耐えられる菓子タイプのチョコレートは作れないかとハーシー社に打診しています。ハーシー社は短い実験過程をした後にハーシーズ・トロピカル・バー (Hershey's Tropical Bar) の生産を始めました。このトロピカル・バーはレーションDバーと比べると、形も風味も一般のチョコレートに近いものになりました。

トロピカル・バーの総生産量は、レーションDバーを含めて第二次世界大戦中にハーシー社の工場が生産した品目中で最大の生産量になりました。甘い風味を残そうとする改良された部分では、ある程度成功していましたが、それでもまだ硬くてあまりおいしくないと言う兵士も少なくありませんでした。そうはいっても、戦場ですぐに食べられるスナックとして非のうちどころがなく、物々交換するための品としても文句なしのチョコレートでした。

1940年~1945年の5年間で、生産されたレーションDバーとトロピカル・バーは推定30億本で世界各地のアメリカ軍兵士に配給されました。1939年に生産されていたレーションバーの生産能力は1日10万本でしたが、大戦終結時にはハーシー社の生産能力をレーションDバーにあてていたので、1週間で2400万本という大量生産ができるようになっていました。ハーシー社はレーションDバーとトロピカル・バーの生産において質・量の両面で軍の期待を上回ったとして、大戦全期間にわたる貢献によって5個の陸海軍E号生産賞を授与されています。

レーションDバーの生産は第二次世界大戦の終結とともに終了しましたが、トロピカル・バーのほうはアメリカ軍の標準配給品として残っています。トロピカル・バーは朝鮮戦争とベトナム戦争でも戦地に送られています。その他に注目を浴びたのは、1971年7月15日に宇宙食としてトロピカル・バーがアポロ15号に積み込まれたことです。

1990年に湾岸戦争の時には、砂漠の盾作戦・砂漠の嵐が作戦期間中に、ハーシー社は新しい耐熱性チョコレートを開発して、デザート・バー(Desert Bar=砂漠バー)と名づけました。ハーシー社はデザート・バーを新製品のテスト販売として、アメリカ軍部隊に144,000本を出荷しています。このデザート・バーは発表によると摂氏60度以上の高温に耐えられるとしている非常用チョコレートです。陸軍のスポークスマンは味はいいと発表していますが、食べた兵士たちの反応はまちまちでデザート・バーが商業用生産になることはありませんでした。